【告知】 12月28日 正午から食糧支援を水戸市三の丸旧県庁と県立図書館の間の広場で行います。

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【告知】12月28日 正午から 食糧支援を水戸市三の丸旧県庁と県立図書館の間の広場で行います。

【特記事項】
数に限りがありますので、事前にご相談ください。
(事前連絡がない場合は、ご要望に応えられません。)
連絡先:特別非営利活動法人 まごころねっとわーく
TEL 029-275-4407

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「まごころねっとわーく」 ちあきの家ができるまで その4

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優しいおじさんは、いつも子犬を連れています。子犬は、私がそばを通るたびに、わたしを探して、探して、目を見つめてきます。
わたしも犬を飼っていましたので、子犬を見ると、”片足がなく、さむそう”。
その子犬が愛おしくなってきました。

おにぎりと卵を渡し続け、見守る日々を重ねて行きました。いつの間にか子犬を温かく見守る支援の輪が出来てきました。

それとは別に、優しいおじさんは、鉄道警察隊より何度か指導がありました。 ”ここから立ち退くこと。”
バスターミナルでも、”ここから立ち退くこと。”

支援の輪では、どのようにすればよいのか? 何度も何度も話し合いがもたれました。
子犬は引き取ることはできるけど、、、おじさんはひきとることができない。そのような話の繰り返し。
わたしは、子犬とおじさんを別れさせることはできない。”子犬を抱えて死んでいく”ことは、おじさんの望む生き方なのではないか。
と思いました。

わたしは、おじさんに「私の家まで歩いてくることができれば、子犬の世話をするよ。」と伝えました。
おじさんは、約20Kmを歩いて家まできました。
わたしの家でも犬を飼っていました。犬の名前はラッシー。 ラッシーは犬だけど犬嫌い。 
でもこのラッシーは、子犬を見て、仲よく挨拶をしています。「びっくり」

わたしは、それとは別に路上生活者からの相談も受けていました。
今の仕事も自分にやりたいことではない。
家も手狭。

事務所を開こう!!と決心しました。

続く...

日本精神障害者リハビリテーション学会 第22回 いわて大会に参加してきました。

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10月30日(木)から11月1日まで、岩手県盛岡市にて「日本障害者リハビリテーション学会」が開催されました。
私は10月30日の夕方開催、自主プログラム「オープンダイアログ(開かれた対話)精神病治癒へのフィンランドのアプローチ」から11月1日いわて大会特別講演「情報」はつなぐ力~「精神科医療の構造改革」を使いこなす。の午前中まで、時間が許す限り、ボランティア活動に活かせると思われる講義を受講してきました。本学会は、早稲田大学での所属していたゼミの先生が、理事を務める学会です。ゼミ仲間と先生の頑張りを拝見したかったのも参加した動機です。

本学会の参加者は、約1000名。医師、看護師、作業療法士、精神保健福祉士、臨床心理士、就労支援センター経営者、ディサービス経営者、当事者等、つながりのある方々の集まりでした。懇親会は、わんこそば大会、やんさ太鼓とアットホームな集まりでとても賑やかに行われました。

一番こころに残ったことは、松本ハウスさんの「僕らのリカバリーストーリー」です。統合失調症から10年間の療養と活動休止期間を経て、コンビを復活したこと。もう、昔の自分には戻れないが、今の自分を受け入れることが大切!!と話をしていました。
これは、私にも当てはまることだなと痛感。挫折ばかりですが、今の自分を受け入れ、自分を好きになることが一番かなと思いました。

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共助社会づくりフォーラム in 茨城に参加してきました。

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共助社会づくりフォーラム in 茨城に参加してきました。

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私は、2014年3月に卒業後、9月よりまごころねっとわーくでボランティア活動をしています。
IT関係の社会経験は、とっても長~いのですが、地域社会活動は新社会人です。
新社会人の視点で参加した感想を書こうと思います。

茨城県県央地区は、認定NPO法人「茨城NPOセンター・コモンズ」が各NPO法人を応援し、人とのネットワーク
を作りながら共に行動をしています。まごころねっとわーくも「茨城NPOセンター・コモンズ」に相談することが
多々あるとのことでした。(代表理事談)

コーディネーターは「茨城NPOセンター・コモンズ」の代表が、助けてのいえる社会を支えるNPO法人の代表がパネリストとして活発なディスカッションが行わなわれました。会場が満員になるほどに活気に満ちたフォーラムでした。
助けてのいえる社会ではなく、パネリストたちは、孤立しやすい当事者から、その声を聴くためにどのように取り組んでいるか、話をしていました。

その中でとても印象的だったのは、「”食”を通して聞く場を作っていく」。
いただきものをお渡しすることで、少しずつ関係を築いていく。その後、助けての言葉を話すことができる関係に発展していく。フードバンクを利用して助けての声が聴ける場を作っていきましょう。と語っていたことでした。私もおいしいものを食べると幸せを感じるので、食の大切さを再確認いたしました。

「まごころねっとわーく」 ちあきの家ができるまで その3

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優しいおじさんは、いつも子犬を連れています。子犬は、私がそばを通るたびに、わたしを探して、探して、目を見つめてきます。
わたしも犬を飼っていましたので、子犬を見ると、”片足がなく、さむそう”。
その子犬が愛おしくなってきました。

おもいきって、子犬とおじさんのためにおにぎりをつくり、朝、おにぎりを渡しました。
優しいおじさんは、’ありがとう’と言い、お礼に、’べつの人からいただいたとんかつ弁当をあげるよ’と言いました。
わたしはえっ(食べてもお腹大丈夫?)。”いらないので、お礼いりませんから”と言いましたが、
おじさんは、’いいから、いいから’と、勧めてきます。

とんかつ弁当にふれると、まだ温かったので受け取りました。おじさんは、’おにぎりと卵焼きが大好きだ。これから、
持ってきてくれるか’と言いました。わたしは、その日から毎日、”おにぎりと卵焼き”を子犬とおじさんに渡すようになりました。

ふと、わたしは、どうして、毎日、おじさんと子犬(路上生活者)へおにぎりと卵焼きを渡しているのかを思いました。
それは、わたしの母の生き方から来ているのかなと思いました。

わたしの母は、家を訪ねてくる人へおにぎりをあげ、野菜があれば野菜をあげる人でした。困っている人から目をさらすことができない、とても優しい人でした。その訪ねて来る人の中に、母と娘のふたりがいました。
わたしの母は、そのふたりが来ると、「縁側で待っていてね。」と声をかけ、家の中にある食べ物、季節がかわると洋服、下着を渡していました。わたしは、母へ“どこの人と?”訪ねると「東京のおばさん」と答えてくれました。「東京のおばさん」は、数年訪ねてきました。

それから、また数年が経ち、わたしは高校3年生になりました。わたしは、学びたいことが明確ではありませんでしたが、東京へ行きたい、東京の大学を切望しました。
しかし、母は、だれも知り合いもいないところへ行くことは大反対。そこで、わたしは母へ言いました。
”東京のおばさん”がいるから大丈夫!!母は、「その人はだれ?」と言いました。わたしは???。(幼いときに「東京のおばさん」と言っていたでしょう。)
そのとき、初めて、「東京のおばさん」が路上生活者であったことを知りました。

わたしの”おにぎりと卵焼き”は、母の生き方に影響されていると深く思いました。

続く...

「まごころねっとわーく」 ちあきの家ができるまで その2

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わたしは、水戸駅前を歩き、バスに乗って通勤しています。
1月31日 白い息は吐きながら、今日もいつもと変わらず水戸駅前を歩いています。

小さな犬がこちらを見ています。わたしは、あれ? 片足がない、視線が重なり、しばらく見つめあい、”何か”を感じとりました。でも、バスは待ってくれません。早く乗らないと仕事に遅刻、まずい・やばい。駆け足で、バスに駆け込みました。後30秒で出発。
振り返ると、あの子犬がずっと見ています。バスは出発しました。しかし、ずっとわたしを見ていました。

翌日も、わたしは、同じ時間で水戸駅前を歩いていました。あの子犬はいないかなと、周りを探していると、あの子犬がこちらを見ています。うれしさを感じましたが、ふと周りを見ると、変なおじさんがいっしょに立っています。
わたしは、変なおじさんは、人通りが多い駅前で、片足のない子犬を見世物に、通行人から金銭を貰い 生活をしている人と思い込みました。

翌日も同じように、水戸駅前を歩いていました。空気が冷たく、白い息はさらに白く、手がかじかみ、寒さがとてもきつい日でした。
わたしは、あの子犬はいないかなと、周りを探していると、みつかりません。どこ? 
変なおじさんが、自分の服で抱きしめ、温めていました。
翌日も翌日も、寒いときは、変なおじさんが自分の服で抱きしめ温めていました。

日々、同じような光景を通してやさしさを感じとるうちに、変なおじさんから優しいおじさんへと心に変化が起きてきました。

続く...